平成30年秋の特別展 躍動する明治-近代日本の幕開け- (後編)

日西修好通商航海条約
日西修好通商航海条約は、スペイン王国との間で結ばれた条約です。明治元年(1868)9月28日、外国官副知事東久世通禧と特命全権公使ケベードとの間で調印されました(明治3年2月23日批准)。展示資 料は、日西修好通商航海条約の調印書です。
 この条約は、旧幕府が諸外国と結んだ「安政五カ国条約」及び「江戸協約(改税約書)」に部分修正を施したもので、不平等条約を概ね踏襲 した内容でした。 (外務省外交史料館所蔵)
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樺太・千島交換条約  公01408100 7/14
 樺太・千島交換条約は、明治8年5月7日、特命全権公使榎本武揚 とロシア外相ゴルチャコフとの間で、サンクトペテルブルクで調印 されました(明治8年8月22日批准)。展示資料は、同条約の批准に関する上申に所収された条文です。
この条約により、樺太全島がロシア領、千島列島全てが日本領となり、日露両国間の領土問題が確定しました。これに加え、オホーツク海及びカムチャッカ半島の港で漁業を営む日本人に最恵国待遇が与えられたことから、条約改正への起点と考えられています。

天長節晩餐会メニュー
 井上馨外務卿(のち外務大臣)は、条約改正を側面から援護するた め、欧化政策を推進しました。明治16年(1883)に落成した官設社交場の鹿鳴館はその代名詞となり、明治20年に井上が辞職するまで、内外 の上流人による舞踏会や夜会、婦人慈善会などが催されました。
 展示資料は、明治17年11月3日の天長節(天皇誕生日)に催された晩餐会の献立表で、牛肉や七面鳥などを使った西洋料理の献立が記さ れています。  外務省外交史料館所蔵
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①生牡蝋レモン添え
②ウィンザー風ポタージュ
③コルベールソース仕立て鯛のグラタン
④ペリゴール風きのこソース添え 牛ヒレステーキ
⑤セロリのピュレ添え鶉のロースト
⑥雉肉のゼリー固め
⑦洋酒のシャーベット
⑧ロースト七面鳥肉のサラダ
⑨英国風絹さやのあえもの
⑩プラム・プディング
⑪アイスクリーム(コーヒー味)
明治十七年天長節晩餐会メニュー和訳

ノルマントン号事件  類00286100 3-4/10
明治19年10月24日、イギリス商船ノルマントン号が暴風のため神奈川i県沖で遭難しました。この時、日本人乗客25名全員が救助されずに水死しましたが、神戸のイギリス領事館で行われた海難審判で船長は無罪となり、日本国内で条約改正を求めて世論が紛糾しました (ノルマントン号事件)。これを受けて、日本政府は急遮兵庫県知事 内海忠勝に船長を殺人罪で告訴するよう指令しました。 展示資料は、逓信大臣榎本武揚と内務大臣山懸有朋の連名で内海に送られた電令の写し及びその訳文です。
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日墨修好通商条約 御00468100 2,7-9/12
 日墨修好通商条約は、メキシコ合衆国との間で結ばれた条約です。 明治21年(1888)11月30日、駐米公使陸奥宗光と駐米メキシコ公使ロメロとの間で調印されました(明治22年1月29日批准)。メキシコとの間で締結されたこの条約は、領事裁判権の撤廃と関税自主権とを相互に認めた、日本がアジア以外の国との間で初めて結んだ平等条約 でした。展示資料は、日墨修好通商条約の公布原本です。関税に関する 条項は第7条に、裁判権に関する条項は第8条に、それぞれ規定されてい ます。

日英通商航海条約の締結
 明治25年(1892)、外務大臣就任した陸奥宗光は、翌年、前外相でドイツ・ベルギー駐箚の特命全権公使となっていた青本周蔵に駐英公使を兼務させ、条約改正交渉に当たらせました。
 その結果、明治27年7月16日、ロンドンにおいて、青本とイギリス外相キンパレーとの間で、日英通商航海条約が調印されました(明治27年8月24日批准、同年8月27日公布、明治32年7月17日施行).。
 条約が締結された背景には、日本が立憲国家としての態勢を整備 したことのほか、明治24年に着手されたロシアのシベリア鉄道建設による極東進出を警戒するイギリス側の思惑、領事裁判権の撤廃、最恵国待遇の相互化、関税自主権の一部回復を達成し、条約改正事業を大きく進展させました。

日英通商航海条約(複製)
掲載資料は、日英通商航海条約の調印書です。右側のページには、駐英公使青木周蔵とイギリス外相キンバレーの署名が記されています。 外務省外交史料館所蔵
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教育勅語の公布
 明治政府は、明治5年(1872)の学制、明治12年の教育令などにより、 近代教育制度の整備を進めました。しかし一方では、西洋崇拝の風潮が生れることへの危機感を持つ者も増えていました。
 こうした風潮の中で、明治天皇の侍講だった元田永孚と法制局長官井上毅らによって「教育勅語(教育ニ関スル勅語)」が起草され、明治 23年10月30日、文部大臣芳川顕正に下賜されました。
 その内容は、教育の基本方針として、皇租皇崇以来の徳目である忠君愛国などの国民が守るべき道徳について、個人、社会、国家の面から取り上げ、天皇が臣民とともに今後も遵守・実践することを希望するというものでした。

教育勅語(複製)  平25文科00001100 1-3/4
 教育勅語は、第1回帝国議会の開会を前にした明治23年(1890)10月 30日、文部大臣芳川顕正に下賜されました。天皇自身のお言葉である 「勅語」という形で発布されたため、通常の法令等とは異なり、国務大臣の副署はなく、御名・御璽だけが記されています。 展示資料は、教育勅語の公布原本の複製です。黒い変色は、大正12 年(1923)の関東大震災の際、保管されていた文部省の庁舎が全焼したことによる損傷を再現したものです。

教育勅語発布後の地方一般の状況  類00571100 1-2/22
 教育勅語が発布された翌日、文部大臣芳川顕正は勅語の謄本を全国の学校に頒布すると発表し、式日などに生徒を集め勅語を奉読することを訓令しました。 展示資料は、明治24年に文部省より報告された、勅語発布後の「地方一般ノ状況」です。直轄学校や各府県の学校等における奉読式の状況について、報告がなされています。
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第Ⅲ部 近代文化の形成
文明論之概略 明治8年刊 187-0024
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西洋衣食住 慶応3年(1867)刊 西洋の衣服、食器、室内家具等の簡単な図入りの説明書。同書は、福 津諭吉が弟子の片山淳之助(淳吉.1837-1887)の名前で出版したもの と言われています。
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江戸を東京と称す  太政官日誌 165-0175  68と69の間/116 ちょうど見たいページが飛んでいるようです。
慶応4年7月17 日、「江戸を東京と称す」との詔書が出されました。この 詔書により、江戸は、天皇が直接赴かれ、政治を指導される「東国第一の大鎮」として位置付けされ、「東京」と称することが定められました。
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太陽暦の採用
 明治5年11月9日、太陰暦を廃し、太陽暦を採用する太政官布告が公 布されました。1年を365日とし、それを12月に分け、4年毎に閏年をお くこと、1日を24時間とすること、旧暦の明治5年12月3日を新暦の明 治6年1月1日とすることが定められました。
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新橋横浜間鉄道之図  附A00005100
創業当時に描かれたとされていますが、正確な作成年月日等は不明です。
原図サイズ東西193.2cm・南北38・6cm

煉化石建築方法 太00336100 9/12
明治5年3月、東京府により定められた煉瓦建築に関する布令。煉瓦の品質、寸法、外観、施工方法などが規定されています。第四図に一列 に長辺(イ)と小口(ロ)を交互に並べる、フランス積みの工法が示さ れています。
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竹製椅子 迎賓館所蔵
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今回はさすが特別展、力が入っています。

一つひとつの展示物が興味深くで、軽く流すつもりが前後編になってしまいました。
不平等条約は何が不平等化というと、関税自主権がない、治外法権の2つだ、と歴史で覚えたのですが、こういうことだったのですねとか、前行った憲政記念館で、そういえばそんな話があったな~と、そういうことだったのか!と。高校時代に国立公文書館に通って、こういう展示を当たり前に見ていたら日本史や古典に目覚めて文系になっていたかもしれません。

力が入っているといえば、他館の資料も多かったです。所属館を超えて一つのテーマに関する資料が一堂に会して、しかも無料で見られてしまうというのは何とも贅沢な話です。撮影禁止の資料じゃなければ、久米美術館のセントラル・パシフィック鉄道路線図やウイーン万国博覧会特別入場パスなど、紹介したかったものも多かったです。外務省外交史料館のものは撮影禁止になっていなかったので、ここでも紹介しましたが、外交史料館もデジカメ撮影可能なのですね。ありがたやありがたや。こちらも一度行ってみたいところです。

で、今回は前庭にも工夫が。プロジェクションマッピングと「躍動の翼」。
プロジェクションマッピングは今回初めての試みだと思いますが、綺麗ですよね。観客があまりにも少ないのがもったいないというと悲しいです。「躍動の翼」はすげーと思って、普段ブログとYouTubeの更新情報を自動で投稿する設定のまま放置していあるTwitterに初めて呟いてしまいました。

ちょうどSNSのキャンペーンをやっていたので、受付の人に見せて、オリジナルポストカードをいただきました。
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10月20日にやっていた体験型イベント「明治時代からの手紙」も行きたかったのですが、その日は別の予定で行けず残念。

次回の企画展も「つながる日本、つながる世界―明治の情報通信―」と明治がらみで、小学校時代にはよく逓信総合博物館に遊びに行っていた身としては、どんな資料が拝めるか楽しみです。
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