国立公文書館 企画展「翔べ 日本の翼-航空発達史-」  (3)飛行機の発達・前編

第二部 飛行機の発達

帝国飛行協会「万国航空協会」へ加盟報告の件
 大正8 年(1919)、帝国飛行協会は国際航空連盟(FAI)に加盟しました。FAI は、パリを本部に明治38 年(1905)に創立され、航空競技に関する国際的規約の確立、国際航空旅行の発展を助長し、加盟各国の航空奨励運動の統一を図ることなどを目的としていました。
 帝国飛行協会は大正4 年に加盟を申し込んでいましたが、 第一次世界大戦のために延期となっていました。日本が加盟 した時期には、航空競技や国際記録、競技飛行士の資格等を中心とした規約が定められ、国際空中交通法を定めたほか、国際航空条約の起草が進められていました。

帝国飛行協会「万国航空協会」へ加盟報告の件 採00005100(1/2)


航空局官制
大正9年(1920)、陸軍大臣田中義一(1864-1929)の提案により、航空局が設置されました。展示資事は航空局設置が決定された際の文書です。
 航空局は、前年に陸軍省に設置された臨時航空委員会が母体となっています。委員会は民間航空の保護、奨励、取締の他、国際航空事業に関する調査なども行うこととされ、これらの業務航空局に引き継がれました。また,航空局では日本国内で使用される民間機の審査、登録等も行っていました。

航空局官制 類01336100(1/13)


航空法の公布
大正10 年(1921)、航空法が公布されました。同法は日本 「で初めての本格的な航空に関わる法律で、航空に関する 様々な基準や規制を定めました。 同法で定められた基準や規則は、国際航空条約に合わせ た内容になっており、当時の日本にとって厳しすぎると判断さ れました。そこで、航空法の施行は別に勅令で定めるものとさ れ、昭和2 年(1927)まで施行されませんでした。 展示資料は同法案を議会に提出する際に作成された文書 です。

航空法の公布 類01410100(22-23,40/82)
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航空に関する条約及議定書
 大正10年(1921)、日本は国際航空条約に調印、これを批准しました。条約では、加盟国の領空や国際航空路運行に関する規則が定められ、航空機の性能の認定に関する国際基準などが確認されました。また、国際航空委員会が設置され、加盟国間の情報共有や条約に関する協議を行うこととされました。

航空に関する条約及議定書 類01431100(1-2/94)


徳川好敏外四名国際航空委員会帝国専門委員に任命
 FAIへの加盟や航空に関する条約の調印などを通じて、日本は航空に関する国際的な体制に加わるにとになりました。これにより.国際航空委員会への委員の派遣が行われます
 展示資料は、大正10年(1921)に行われた国際航空委員会に専門委員を派遣した際の文書です。田中館愛橘は国際会議に積極的に参加しており、国際航空委員会にもしばしば日本代表として参加しています。

徳川好敏外四名国際航空委員会帝国専門委員に任命 任B01296100(3-4/4)


航空局の移管
大正11 年(1922)、航空局の陸軍省から逓信省への移管が決定されました。展示資料は航空局の移管が決定した際の文書です。理由書には、航空の発展に伴い、運輸交通業務 を管轄する逓信大臣の管理に移すことが適当であると書か れています。

航空局の移管 類01419100(2,4/5)
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航空法の施行
 昭和2年(1927)、航空法か施行されました。展示資料は航空法施行期日を定める勅令の公布に関する文書です。資料には、大正10年(1921)の航空法割定の際には.法律の定める規定の内容が厳しく、当時の日本で施行すろことが困難だったことに触れ、国内の民間航空が発達し、同法の施行が可能な環境が整ったとしています。

航空法の施行 類01628100(1,4/139)


航空研究所の設置 大正4 年(1915)、東京帝国大学に航空学教室が設置されま した。講義は田中館愛橘が担当しました。翌年には航空学調 査委員会が設置され、大正7 年、航空研究所が開設されまし た。航空研究所は航空学に関する研究、実験を行い、その成 果を様々な形で発表しました。 展示資料は昭和17 年(1942)に刊行された「東京帝国大学 学術大観」に含まれる航空研究所に関する巻です。

航空研究所の設置 ヨ377-0001
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木村秀政叙勲の件
木村秀政(1904-1986)は、明治37 年(1904)、青森県に生まれました。生後すぐに東京に移り、府立四中、第一高等学校を経て、大正13 年(1924)に、創立されたばかりの東京帝国大学工学部航空学科へ進みます。卒業後は東京帝国大学大学院に進学、航空研究所に進み、技師として航空研究所試作長距離機(航研機)の製作に参加しました。戦後は日本大学で教鞭をとり、昭和 30年代には、YS-11の基本設計に参加しました。
 展示資料は、昭和50 年(1975)に木村が勲二等旭日重光章を受章した際の文書です。

木村秀政叙勲の件 平6総00739100
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YS-11の設計者の木村秀政日大教授
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堀越二郎叙勲の件
 堀越二郎(1903-1982)は、明治36 年(1903)、群馬県に生まれました。藤岡中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学工学部航空学科へ進みます。同期には、木村秀政や川崎飛行機で活躍した土井武夫(1904-1996)らがいます。東京帝国大学を卒業後、堀越は三菱内燃機製造(現在の三菱重工業)に入社し、設計技師になります。軍用機の設計で活躍し、七試艦上戦闘機、九試単座戦闘機(九六式艦上戦闘機)、十二試艦上戦闘機(零式艦上戦闘機)、熱嵐など、戦闘機の設計を多く手掛けました。戦後は、木村や土井らとともにYS-11の基本設計に関わりました。
 展示資料は、昭和48 年(1973)に堀越が勲三等旭日中綬章を受章した際の文書です。

堀越二郎叙勲の件 平6総00598100
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堀越二郎と三菱の技術者たち
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高橋福次郎外一名賜杯の件
 昭和13 年(1938)5 月、航空研究所が製作した航研機は銚子、太田、平塚、木更津を結ぶ周回飛行試験を実施します。 その結果、飛行距離等で当時の世界記録を更新しました。この記録は、翌年、イタ1)アに破られますが、航研機の記録は、日本が国際的に公認された唯一の記録でした。展示資料は、航研機に搭乗した副操縦士の高橋福次郎らに銀杯が授与された際の文書です。

高橋福次郎外一名賜杯の件 纂02345100
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航研機の記録飛行に関する新聞記事
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白瀬矗の請願
 飛行機の研究が進むと、記録艇行や多分野での活用を通 して、性能の向上などが図られまLた。
大正10年(1921)、南極探検で知られる白瀬矗(1861- 1946)は、飛行機による南極点の調査を行うため、議会に請願書を提出しました。白瀬は、厳しい環境の南極でも、飛行機を活用すれば幅広い調査が可能で、徒歩や犬ぞり等よりも効率が良いと考えました。白瀬の請願は、議会では賛成されたものの、政府では見込みがないとして却下されました。
 昭和3 年(1928)、アメリカのリチャード・バードが飛行機による南極点到達に成功し、白瀬の着想が正しかったことが証明されます。日本が南極調査に飛行機を使用したのは、白瀬の死後、昭和31年に日本を出発した第一次南極観測隊からでした。

白瀬矗の請願 纂01590100
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白瀬矗


安辺浩外四名外国勲章記章受領及佩用允許の件
大正14 年(1925)、朝日新聞は、自社が所有する飛行機「初風」号、「東風」号を使用して、欧州訪問飛行を行いました。同年7月25日に代々木を出発した2機は、シベリア各地を経由しながら西へ進み、8 月23 日にモスクワへ到着し、大歓迎を受けます。その後、ベルリン、パリ、ロンドン、ローマ等を訪問して帰国しました。
 「初風」号の操縦士安辺浩をはじめ、搭乗員たちは各地で歓迎され、多くの勲章を授与されました。
展示資料は、外国勲章を受けた安辺たちが、それらの佩用許可を政府に求めた際の文書です。

安辺浩外四名外国勲章記章受領及佩用允許の件 勲00647100(2-5/84)
初風号 (大正14年(1925))
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新聞記事(ローマのところだけが朱で刷られているところに注目)
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