国立公文書館 企画展「翔べ 日本の翼-航空発達史-」  (2)帝国飛行協会

故海軍大尉相原四郎遺族へ手当支給の件
 相原四郎(1879-1911)は明治12年(1879)、愛媛県に生まれました。海軍に動務し、臨時軍用気球研究会設立時の委員を務めました。同42年、不忍池でグライダーの飛行実験を行い、日野、徳川両大尉が動力飛行を行う前年、滑空機(グライダー)による飛行に成功しました。実験は田中館愛橘の指導の下、フランス人ル・プリウールが参加して行われました。その後、飛行機購入と飛行機操縦の調査のため、ドイツに派遣されますが、同44年にドイツで客死しました。
 展示資料は、相原の死に際して葬儀などの費用を補助することを決定した文書です。

故海軍大尉相原四郎遺族へ手当支給の件 纂01185100
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英国陸軍飛行競技に関する件
 航空機の開発が各国で進むと、ョーロッパ諸国を中心に航 空機の性能、操縦技術を競う競技会が開催されました。展示 資料は、大正元年(1912)、イギリスで開催された飛行競技会 について、日本海軍のイギリス駐在武官が海軍省に宛てて 作成した報告書の一部です。競技会に参加したモーリス・ ファルマンやハンドレー・ページなどの飛行機や、フアーンボロ ーの航空機関係施設の写真など、当時の様子が分かる資料 が含まれています。

英国陸軍飛行競技に関する件 返赤74003000  返赤74003000(186,202/423)
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書翰
 帝国飛行協会は、大正2年(1913)、既に活動1ていた民間団体である(旧)帝国飛行協会や日本航空協会などを母体に設立されました。団体の名称は帝国飛行協会とされ、翌年には、当時の総理大臣、大隈重信(1838-1922)が会長に就任しました。同協会は活動目的を航空技術の発展と民間への航空知識の普及としました。その活動は多岐にわたり、機関誌や文献の刊行をはじめ、講演会や協議会の開催、陸軍への委託によるパイロット養成、航空機購入希望者への補助金の支出などを行いました。協会の事業は寄付金で賄われ、 皇室からの御下賜金や、当時の大蔵省の官僚、室井平蔵(1855-1928)をはじめとする様々な人物からの寄付金によっ て運営されました。
 展示資料は、大正3年8月16日、室井に宛てた書簡です。 帝国飛行協会会長大隈重信、副会長阪谷芳郎(1863-1941)の名前で出され、寄付に対する礼を述べています。 (-般財団法人日本航空協会所蔵)

大隈重信(1838-1922) 画像提供:国立国会図書館
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帝国飛行協会会報
展示資料は、大正2年(1913)に刊行された「帝国飛行協会 会報第一巻第一号」です。同会報は、定期的に刊行され、 一時的な中止や改題はありましたが、現在も日本航空協会 発行の『航空と文化』として刊行が続けられています。 (一般財団法人日本航空協会所蔵)

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航空輸送
 展示資料は、帝国飛行協会が翻訳したG・H・トーマスの著書です。帝国飛行協会は書籍や年鑑の刊行に加え、外国文献の翻訳も積極的に行いました。

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故子爵阪谷芳郎位階追陞の件
大隈会長在任中、副会長を務めた阪谷芳郎は、大隈会長 の退任後、大正11 年(1922)に帝国飛行協会会長に就任しま した。その後、昭和15 年(1940)まで会長をつとめ、帝国飛行 協会が行った様々な活動に関係しました。 展示資料は、昭和16 年、阪谷の死後、位階の道隆(本人の死後に位階の昇叙が行われること)が行われた際の文書で す。阪谷の航空に関する事績が書かれています。

故子爵阪谷芳郎位階追陞の件  叙01774100(20-21/34)
阪谷芳郎(1863-1941) 画像提供:国立国会図書館

大正三年日独戦役写真帖
 大隈が会長に就任した対象3年(1914)、第一次世界大戦が勃発しました。第一次世界大戦は、軍用機が本格的に使用された戦争として知られています。日本も同年、日英同盟によりドイツに宣戦布告しました。陸軍は中国大陸の青島に軍を派遣し、現地で飛行機を使用して偵察や爆撃を行いました。
 展示資料は、第一次世界大戦後に作成された写真帖で、青島周辺で使用された日本側の飛行機や航空施設が写っています。

大正三年日独戦役写真帖 ヨ393-0009
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飛行事業拡張に関する件
 大正3 年(1914)、帝国飛行協会会長に就任した大隈重信 、同11年まで会長をつとめました。就任当時、総理大臣だった大隈は、激務の中にあっても日本の航空の発達に心を 砕き、精力的に活動しました。大隈は、総理大臣退任後も多 くの請願書を提出し、政府の援助を求めました。
 展示資料は、大正10 年に大隈が提出した請願書です。大隈は、政府が機関を設置し、様々な法律を定め、日本の航 空の発展を主導することを求めました。

飛行事業拡張に関する件 請願00063100(1/2)


第一回民間懸賞飛行競技大会記念写真帖
 帝国飛行協会は、航空に関する社会的な関心を喚起するため、多くの飛行競技会を主催しました。展示資料は、大正3年(1914)に兵庫県の成尾競馬場で開催された第1回民間懸賞飛行競技大会を記念して製作された写真帖です。大会では、多くの観客が見守る中、飛行機の高度、飛行時間を競いました。(一般財団法人 日本航空協会所蔵)

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第一回民間懸賞飛行競技大会の様子
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第一回郵便飛行競技記念絵葉書
 第1 回民間懸賞飛行競技大会の開催後も、帝国飛行協会 は様々な飛行大会を主催しました。そのひとつが、大正8 年 (1919)に開催された、第1 回懸賞郵便飛行競技です。この大 会は東京、大阪間で葉書や封書を航空機で運び、そのスピ ードと正確さを競いました。展示資料は、大会で実際に運ば れた記念葉書です。 (一般財団法人日本航空協会所蔵)

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故勲八等後藤勇吉叙勲の件
 後藤勇吉は、明治29年(1896)、宮崎県に生まれました。大正6年(1917)、帝国飛行協会から委託操縦生として陸軍に派遣され、飛行機の操縦を学び、翌年、卒業します。その後、民間パイロットとして活躍し、大正13年には、日本一周飛行に成功しました。
 昭和2年(1927)には大阪上海間の試験飛行を行い、国際航空路の開拓に成功しました。同年、帝国飛行協会が呼び掛けた太平洋横断飛行の計画に参加しますが、訓練中の事故により亡くなりました。生涯の飛行時間は1,000時間を超え、日本の民間航空の発達に大きな貢献をしました。
 展示資料は、後藤の死去を受けて、勲六等瑞宝章が授与された際の文書です。

故勲八等後藤勇吉叙勲の件 勲00664100(2/14)
後藤勇吉と川西K-2レーサー機
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