浅草寺・影向堂周辺と二天門

浅草寺・影向堂付近について、石碑関係を中心に。
そうそう、まずは影向堂について解説板を見てみよう

影向堂(ようごうどう)
 影向堂はもと本堂南東にあったものを、平成六 年に浅草寺中興開山慈覚大師呼仁さまのご生誕1200年を記念して、現在地に再建されたもので、 観音さまのお説法やご活躍に不断に讃嘆協力されている仏さま方「影向衆(ようごうしゅう)」をおまつりしているお 一堂である。
 堂内には、中央に聖観世音菩薩さま、その左右に十二支に応じた生まれ年の守り本尊さま八体がおまつりされている。
 お堂の上、棟飾りには、火伏せの究いとされる金箔押しの卿尾を置く。鵬尾を取り付ける際は不思議と雨を呼ぶといわれており、平成六年夏の建立時も記録的な日照りであったが、鴎尾を取り付けると突如として雨が降り、人々を感動させた。
金龍山浅草寺


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石橋 (重要美術品)
元和4年(1618)東照宮の神橋として架設され、現存する都内最古のものと思われる。
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尊勝陀羅尼の碑 仏頂尊勝陀羅尼を梵字で刻す。元治元年(1864)の建立。
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重置六地蔵碑記
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三尊名号(さんぞんみょうごう)供養塔
「南無阿弥陀仏」「観世音菩薩」「大勢至菩薩」の阿弥陀三尊
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老挙の句碑「此華の古那木の中の桜の木」
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西仏板碑  東京都指定有形文化財(歴史資料)
建立者の西仏については明らかではないが、こ の板碑は彼が妻子の後世安楽を祈って建立したも のと推測される。建立の年代も不詳であるが、鎌倉末から室町初期かと思われる。
 上部が破損しているが、製作時には三メートル 近くあったものと思われる。寛保ニ年(一七四ニ) 暴風雨によって倒れ破損、文化十一年(一八一四) に有志が側柱を立てて支えたと 粘板岩(青石)。 現存の板碑の大きさは高さ217.9cm、幅48.0cm、厚さ4.7cm。
中世の信仰を知るうえで貴重な遺品であり、かつ巨大板碑の典型例である。


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二天門
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二天門わきにある手水鉢

手水鉢
江戸時代安永六年(1777)
 「手水鉢」 とは、社寺の参拝前に手を清めるために置かれる鉢のことである。
鉢の側面には「安永六年(1777)に観世音千百五
十年法会供養の日に臨時連中によって寄附された」とあり、推古十六年(六二八)のご本尊さまご示現(じげん)から数えて二五〇年を祝う 記念法会のために、明和六年(一七六九)に設置された浅草寺の消 防組織である「臨時連中」によって献じられたと推定できる。
 また銘文に「随身門前」 とあり、文化10年(1813)に編纂された『浅草寺志』にも「裏門の外」と記されていることから、場所を変えずに今に至ると判明する。現在は使われていないが、江戸時代の多くの人々がここで手を清め 、観音さまや三社さまにお参りをされたことであろう。  金龍山浅草寺


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お水舎
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