一ツ橋

千代田区一ツ橋一丁目と二丁目の境にある橋、それが一ツ橋。
説明板にはこんな風に書かれていました。

一ツ橋
この橋を一ツ橋といい、内濠川に架かる見附橋です。徳川家康が江戸城に入ったころは、大きな丸木が一本架けられていて、その名で呼ばれていたといいます。寛永図(1624~1643)には、一ツ橋とかかれています。
 橋のちかくに、松平伊豆守の屋敷があったので、伊豆橋ともいわれたことがあります。その屋敷あとに、八代将軍吉宗の第四子徳川宗尹が、御三卿の一人して居をかまえていました。そこで橋の名をとって一ツ橋家と称したといわれています。
 明治6年(1875)一ツ橋門を撤去、現在の橋は大正14年(1925)架設、長さ19.6メートル、幅28メートル、コンクリート造り。
 橋の北側、如水会館の一帯は商科大学(現一橋大学)のあった所です。
平成元年11月 千代田区教育委員会


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近く、丸紅本社ビルの西側の歩道わきに一橋徳川家 屋敷跡の石碑と説明がありました。
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一橋徳川家 屋敷跡
 一橋徳川家は、寛保元年(1741年)徳川八代将軍吉宗の第四子宗尹(むねただ)が江戸城一橋門内に屋敷を与えられたことがはじまりである。
 一橋家・田安家・清水家は御三卿と呼ばれ、御三卿は将軍家に世継ぎがなく、御三家(尾張・紀伊・水戸)にも将軍となりうる該当者がいない場合に将軍を送り込める家柄で、十万石の格式をもち、直属の家臣団を持たず、将軍家の身内として待遇された。
 当家は、二世治済(はるさだ)の長男家斉(いえなり)が十一代将軍となり、水戸家より入った一橋九世が徳川最後の十五代将軍徳川慶喜(よしのぶ)であり、御三卿の中でも幕政に深く関わった。
 敷地は広大で、この一角のほか気象庁・大手町合同庁舎付近まで及んだ。



隣の錦橋
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