国立公文書館 企画展「ようこそ地獄 楽しい地獄」 Ⅰ.地獄行きの罪 Ⅱ.地獄は何処に

Ⅰ.地獄行きの罪

日本霊異記 正徳4年刊 210-0113 
編者:景戒(生没年未詳) 成立:弘仁年間(510-824)頃
奈良薬師寺の僧である景戒の手によって編纂された日本最古の仏教説話集。正式な書名は「日本国現報善悪霊異記」で、現世の行いには必ずその報いがあるとする「応報説話」が特徴的。展示資料は正徳4年(1714)に出版されたもの。教部省の旧蔵書で全3冊。
2352-1.jpg


宇治拾遺物語 万治2年刊 210-0119
編者:未詳 成立:鎌倉時代前期か
すでに散逸した説話集である『宇治大納言物語』を基礎に編まれたと考えられているが、編者・成立事情共にはっきりしない。滑稽な話を多く収録し、説話集に特徴的な教訓・啓蒙の要素は控えめ。挿絵入りの万治2年(1659)版。
2352-2.jpg
歌人の藤原敏行(?-901)が地獄に落ちたことが書かれています。敏行は人々に頼まれて経典を書写したときに、魚を食べたり、女にも触れて、心を清めずに書写したので経典の功徳がかなわず頼んだ人々は浄土に行けずたけだけしい身に生まれ変わってしまい、敏行のことを恨んでおり復讐がしたいということで、寿命が尽きる前だけど特別に地獄に呼び出されました。敏行は閻魔王の前で新たに金光明経を書写すると誓って現世へ帰ることを許されましたが、結局日々を無為に過ごしたため、また地獄に落ちてしまいました…。

続古事談 紅葉山文庫 特070-0003
編者:未詳 成立:健保7年/承久元年(1219)か
先に編まれた『古事談』の体裁に習った説話集。構成や典拠に多くの共通点があるものの、とりわけ政道論・君臣論に対する関心が高く、背景に源実朝暗殺や承久の乱など成立当時の政治的混乱があったことが類推される。
2352-3.jpg
奈良時代の貴族である藤原永手(ながて)(714-771)の罪。孝謙(称徳)天皇(718-770、在位749-758,764-770)が西大寺の建立を命じた際、永手は五層の塔を三層に縮めてしまい、その罪によって赤く焼けた銅の柱を抱かされる報いを受けた。

宝物集 元禄6年刊 193-0528
著者:平康頼(生没年実生) 成立:治承3年(1179)頃か
佐賀清凉寺に参籠した人々の仏法をめぐる議論を書き留めたという形式をとる、一般向けの仏教の啓蒙書。著者の平康頼は後白河上皇(1127-1192、在位1155-1158)の側近として知られ、平家打倒を企てた鹿ケ谷事件に連座して俊寛らとともに鬼界が島に流された。本書は赦免されて帰洛した治承3年(1179)頃の著作と考えられている。
2352-4.jpg
紫式部は嘘で塗り固めた「源氏物語」を書いた罪で地獄に落ち、その苦しみが耐え難いので、「早く源氏物語を破り捨てて写経して供養してほしい』と人の夢の中に現れたという…

源氏供養表白 林羅山 特096-0014 
著者、成立:未詳
地獄に落ちたとされる紫式部や、「源氏物語」の読者を供養するための法会「源氏供養」に用いられた表白文(ひょうひゃくぶん)(法会などの際にその趣旨を述べるための文章)。
リンク先の7/21が展示されていました
『源氏物語』の巻名が順を追って登場するのは、この表白文にあわせて『源氏物語』を火にくべたためと考えられています。

桐壺の夕の煙すみやかに法性の空にいたり、箒木のよるのこと葉、つゐに覚樹の花をひらかむ。空蝉の空しき世を厭ひて、夕顔の露のいのちを観し、若紫の雲のむかへを得て、末摘花のうてなに座せしめん。紅葉の賀の秋の夕には落葉をのそみて、有為をかなしひ、花の宴の春の朝には飛花を観して無常をさとらむ。たまたま仏教になり、賢木葉のさして浄刹をねかふへし。花散里にこころをとゝむといへとも


YOUは何して地獄へ?
地獄へ行く理由はさまざま。盗み、殺しなどのほかにも、心をこめず写経したり、手抜き建築のようないい加減な仕事をしてはいけないんですね。気をつけようと思います。でも、物語(フィクション)なら嘘で塗り固めてもいいんじゃないかと…でないと小説やドラマ関係者はみんな地獄行なんでしょうかね。一方、源氏供養で表白文に巻名があるのはうまいといえばうまいのですが、紫式部や読者を地獄に落とした閻魔様の神経を逆なでしているような気もします…。




Ⅱ.地獄は何処に
小袖曾我(『舞の本』) 明暦2年刊 204-0018(15)
作者・成立:未詳
『舞の本』は戦国時代に流行した芸能である幸若舞(こうわかまい)の詞章を、読み物用に編集したもので、寛永年間(1624-1644)に出版されて広く流布した。そのうち『小袖曾我』は曾我兄弟の仇討を描いた「曾我物語」を典拠とし、曾我兄弟とその母の和解の場面を抽出したもの。
2352-5.jpg
天竺の香姓婆羅門(こうしょうばらもん)とけんしやうの兄弟は父親を殺した上、千人斬りの願を立てて悪行を繰り返していました。兄弟の母親はその罪を償うために千の生き物の命を助ける願を立てましたが、とうとう千匹目の亀を助けようというときに兄弟に見つかってしまいます。兄弟は千人切りを達成するために母親を殺そうとしますが、その時大地が裂けて、兄弟は奈落の底(=地獄)へと呑み込まれていったのでした。

道成寺絵詞 享和2年写 192-0552
作者:未詳 成立:室町時代後期か
道成寺が所蔵する室町時代成立の「道成寺縁起絵巻」の異本に相当する絵巻。遠江の長者の娘の花姫と、三井寺の僧の賢学の因縁が語られる。別名に「賢学草紙」「日高川草紙」など。
2352-6.jpg 2352-7.jpg
2352-8.jpg 

三井寺の僧の賢学は、遠江のある長者の娘と深い因縁で結ばれているという夢のお告げを受け、修行の妨げとなることを恐れて、まだ幼かったその娘の胸を刺して逃げてしまいます。やがて時が過ぎ、清水寺で美しい娘に出会った賢学は契りを結びますが、その娘が自分がかつて傷つけた娘であることに気づき、恐れのあまりに娘を捨てて逃げ出します。賢学を恋い慕う娘は、熊野へ逃げた賢学を追い、日高川を渡るうちに蛇体に変身し、ある寺へと賢学を追い詰めます。賢学は鐘の中に逃げ込みますが、蛇体の娘は鐘に絡みつき、鐘を壊して賢学を捕まえ、ともに「奈落の底(=地獄)」に沈もうといって、賢学を日高川の底へと連れていきます。

日本霊異記 正徳4年刊 210-0113 
2352-9.jpg
大伴連忍勝(おおとものむらじおしかつ)は讒言(さんげん=事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと)によって殺されてしまいましたが、五日程で息を吹き返します。彼は地獄の大釜でゆでられてしまうところでしたが、善行を積んでいたために釜が割れたので、特別に帰ることを許されたのでした。よみがえった忍勝は、地獄は地下ではなく、この世と地続きの世界にあると述べています。

今昔物語集 林家 210-0160 
編者:未詳 成立:保安元年(1120)以降か
平安時代末期に成立したと考えられているものの、その成立事情や編者については未詳。天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の3部構成で、場所はもちろん、登場人物も貴族から庶民まで多岐に及ぶ。書名は、収録されている説話が「今ハ昔」で始まることに基づく。
2352-0.jpg
母を亡くした三人の子供たちが、越中立山(現在の富山県中新川郡立山町の地獄谷)へ行き、亡き母と再会する話があります。山中他界(山中に死後の世界があるとする民俗信仰)の考え方と仏教が融合した結果、火山活動の余勢を残す噴気地帯が「地獄」ととらえられるようになりました。立山のほかにも様々な場所が現在も「地獄」などの地名で呼ばれています。


地下か、地上か。
 地獄に「落ちる」という言葉から、現世の下にあるというイメージがありますね。
 小袖曾我では母親は自分を殺そうとした息子たちが、奈落の底へ落ちそうになった時に髪の毛をつかんで助けようとします。でも髪が抜けて兄弟は奈落の底、つまり地獄へ。兄弟の罪状を見れば当然なのでしょうが、彼らのために千の生き物の命を助けようとした母親の視点で見るといろいろ報われない感じがします。
 道成寺絵詞。ある意味純愛物語。それにしても誰だよ夢のお告げをした奴、余計なことをしやがって…。

 一方、地獄もこの世の地続きにあるみたいな考え方もあって。
 日本霊異記。大伴連忍勝が讒言を言っていたのではなくて被害者なんだよね?それで殺されたあげく地獄の大釜でゆでられそうになるって、どういうこと?善行を積んでいたんだったら、どうして最初から極楽浄土に連れて行かなかった!これは地獄において善人をゆでてしまうという事故の一歩手前でヒヤリハットの事例といえるな。
 今昔物語集。子供が死んだ母親に会いに地獄へ行くなんて、泣かせるじゃないですか。「逢いたい気持ちがママならぬ」って。
にしても「電車で行けるアメリカの大学」ならぬ「歩いて行ける地獄」というのもね。そして温泉に入って「極楽極楽!」という矛盾。(笑)


関連記事

コメント

Secret

月別・カテゴリー別はこちら

ご来場者数
スポンサードリンク
リンク
キーワードでお探しします
お手紙、待ってます(はぁと)!

名前:
メール:
件名:
本文:



この人とブロともになる

QRコード
人気ブログランキングへ
明日天気にな~れ!

-天気予報コム- -FC2-
今夜の月はどんな月?
CURRENT MOON
RSSリンクの表示