国立公文書館 企画展「生まれた。育てた。―母子保健のあゆみ―」4

4 戦後 母子保健の整備

 終戦直後の混乱の中で、戦災孤児や困窮母子の救済という当面の問題の対策から始まった戦後日本の母子保健は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導・援助によって大きく発展していきます。
 母子保健の全面的な改変を見た終戦直後から、世界最高水準に達するまでに、児童福祉法、母子保健法といった現在につながる母子保健の方向性を決定づけた法律が制定され、数々の施策が実施されていきました。

主な出来事
昭和21年11月3日日本国憲法、公布
 22年1月東京都でララ物資による学校給食、はじまる
5月3日日本国憲法、施行
9月5日保健所法、改正
12月12日児童福祉法、公布
 23年5月28日母子手帳の様式を定めた厚生省告示第26号、公布
 30年11月26日ユニセフミルクの配給業務について、
恩賜財団母子愛育会と厚生省が委任契約締結
 31年2月妊産婦・就学前児童に対するユニセフミルク、配給開始
 36年6月19日児童福祉法、改正
 40年8月18日母子保健法、公布
 41年5月7日母子健康手帳の様式を定めた厚生省告示第236号、公布
 



保健所の事業拡張改善の件 昭和22年 平12厚労00061100
 GHQの公衆衛生福祉部は、「保健所機能の拡充強化に関する件」と題する覚書(メモランダム)を発しました。覚書では、日本の全保健所において公衆衛生に関する適切な活動力を確立するとともに、公衆衛生看護事業、母子衛生事業など、保健所の取り扱うべき計12項目を掲げました。資料は、GHQから発せられた昭和22年(1947)4月7日付の覚書です。
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保健所法を改正する法律 昭和22年 類03115100 (Page 1を展示)
 GHQの覚書の趣旨に沿って、昭和22年(1947)9月5日、昭和12年に制定された保健所法は全面的に改正されます。これにより、保健所は、公衆衛生の向上及び増進を図るため、地方における公衆衛生上の指導業務と行政事務とを一体的に実施する機関となりました。同法では、「母性及び乳幼児の衛生に関する事項」も保健所が指導を行うと定められました。資料は、改正された保健所法が公布される際の閣議書です。


児童福祉法 昭和22年 類03118100 (Page 9を展示)
 昭和22年(1947)12月12日、児童福祉法が制定されました。同法は、戦後に多く見られた浮浪児や孤児などの要保護児童の救済的事業を規定するだけでなく、次の社会の担い手たる児童(満18歳未満)一般の健全育成、積極的福祉増進を目的とした児童に関する画期的な総合的福祉立法です。母子にかかわる福祉と医療についても定められ、妊産婦、乳幼児に関し保健指導、妊娠の届出の制度が整備強化されました。資料は、児童福祉法が公布される際の閣議書です。


母子手帳の様式 昭和23年
 児童福祉法の制定に伴い、「妊産婦手帳」は「母子手帳」へと改称されました。妊産婦手帳が妊娠初期から分娩後1年までの母体の健康管理を目的とし、妊婦に1冊ずつ配布されたのに対し、母子手帳は母親の妊娠中から子供の幼児期までへと対象を広げ、子ども一人につき1冊の配布へと変更されました。資料は、母子手帳の様式が定められた厚生省告示第26号が掲載された、昭和23年5月28日付の官報です。
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母子手帳
 昭和30年代後半に東京都から交付された母子手帳と、恩賜財団母子愛育会付属愛育病院での検診結果記入用の乳児発育表と幼児発育表です。(個人蔵)
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亜細亜救援公認団体に対する感謝決議 昭和22年 類03083100
 戦後の日本は、食糧などの物資が極度に不足していました。昭和21年(1946)から届けられ始めた「ララ物資」と呼ばれる救援物資は、「干天の慈雨」と言われたほどで、窮乏に喘いだ多くの日本人を救いました。これらの救援物資は、米国の宗教団体などにより組織されたアジア救援公認団体(Licensed Agencies for Relief in Asia , 略称ララ)から贈られたものでした。ララ物資には、ミルク類、穀物、缶詰などの食料品から、衣類、医薬品なども含まれ、その恩恵に浴した人の数は1,700万人にも達すると言われています。
 衆議院では、昭和22年8月、国民の総意においてララに対する感謝状決議を採択し、恩義に謝意を表明しました。資料は、感謝決議が採択された際の決議書です。
※ララについては、横浜のJICAで特別展をやっていました


学校給食はじまる(昭和22年1月21日『毎日新聞』)
 ララから贈られた脱脂粉乳や缶詰などは、学校給食にも使われました。栄養価の高い脱脂粉乳が学校給食で供されることにより、栄養不足だった多くの児童が救われました。記事は、東京都の赤羽国民学校でララ物資による給食が開始されたことを報じたものです。
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恩賜財団母子愛育会による「ユニセフミルク」の配給 昭和30年 昭60厚生00003100
 ユニセフ(現在の国際連合児童基金、United Nations Children's Fund)による日本への支援は、昭和24年(1949)から始まりました。昭和30年にはさらに、妊産婦、乳幼児の栄養改善のための脱脂粉乳(ユニセフミルク)の贈与も受けることが決まります。この配給業務を支えたのが恩賜財団母子愛育会でした。資料は、昭和30年11月26日付で、厚生省が同会とミルクの配給業務について委任契約を結んだ際の契約書の写しです。
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ユニセフミルクについて  昭和30年 昭60厚生00004100
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愛育班によるユニセフミルクの配給 昭和31年 恩賜財団母子愛育会提供
※写真は割愛します。

ユニセフミルクと母子保健講習用掛図
 ユニセフミルクは配給時には粉末状でしたので、飲む際には液体化する必要がありました。掛図では、ユニセフミルクの上手な作り方について図を交えて解説しています。資料は、昭和30年(1955)に、恩賜財団母子愛育会が作成した掛図です。
※写真は割愛します。


児童福祉法改正~三歳児検診 昭和36年 平11総02060100 (Page 5を展示)
 昭和36年(1961)6月19日、児童福祉法が改正され、三歳児健康診査の実施が都道府県知事に義務づけられるとともに、申請時の育児指導を行う申請時訪問指導の制度が定められました。資料は、児童福祉法の一部を改正する法律が公布される際の閣議書です。


こどもすこやかに育てよう(フォト創刊号 昭和36年5月1日号) 昭和36年 平22内府90070100
 記事では、児童福祉法の第1条「児童が心身ともに健やかに生まれ、育成されるよう、また生活を保障され、愛護されなければならない」の文言とともに、同法の改正により新たに定められた三歳児診査についても触れられています。『フォト』は、社団法人時事画報社が総理府の委託を受け、昭和36年(1961)から発行したグラフ誌です。
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母子保健法 昭和40年 平11総02074100 (Page 6を展示)
 昭和40年(1965)8月18日、母性並びに乳児及び幼児の健康の保持と増進を図り、国民保健の向上に寄与するため、母子保健法が公布されました。同法制定以前は、母子保健施策は児童福祉法に基づいて行われていましたが、健全な児童の出征および育成の基盤となる母性保健対策の強力な推進を図って、単独立法として成立しました。母性並びに乳幼児の保健指導、健康診査、母子健康手帳の交付などの措置を定めた同法は、翌41年1月1日に施行され、現在まで母子保健の中心的な位置を占めています。資料は、母子保健法が公布される際の閣議書です。


母子健康手帳の様式
 母子保健法の制定に伴い、母子手帳は母子健康手帳と改称されました。資料は、母子健康手帳の様式が定められた厚生省告示第236号が掲載された、昭和41年5月7日付の官報です。
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母子健康手帳(個人蔵)
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よくぞ育ったこの10年(写真広報八号 昭和30年8月1日号) 昭和30年 平14内閣00511100 (Page 4を展示)
 終戦の年(昭和二〇年)に生まれた関多恵子ちゃんの一〇年間成長の記録を、写真とともに見ることができます。食糧も物資も不足する中で、多恵子ちゃんは家族に見守られながらすくすく成長し、満一〇歳になりました。『写真広報』は、昭和二九年から大蔵省印刷局が発行した政府広報誌です。
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※明治から平成まで、おそらくはそれ以前からでしょうが、お母さんと赤ちゃんを大事にしようとしてきた歴史だなと、感じさせるものでした。特に戦時中も、人的資源(兵隊さん)の確保という別の理由はあるものの、みんなが我慢してお母さんと赤ちゃんを大事にしていた点は注目に値するものではないでしょうか。それにしても、この展示がなければ一生、母子保健の歴史なんて振り返ることなかっただろうな…。
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