国立公文書館 企画展「生まれた。育てた。―母子保健のあゆみ―」3

3  戦時下 国策としての母子保健

 昭和6年(1931)9月の満州事変、同8年3月の国際連盟脱退、そして同12年7月の盧溝橋事件に端を発した「日華事変」の勃発などを経て、日本は戦時体制へと移行していきました。
 総力戦体制を確立するにあたり、国家の人的資源の確保と活用が喫緊の課題となるなか、母子保健は戦力増強、人口増加方策の一環として重視されるようになり、強力に推進されていきました。

主な出来事
昭和13年1月11日厚生省官制、公布
4月1日国家総動員法、公布
  14年7月28日国民体力審議会官制、公布
9月1日第二次世界大戦、はじまる
  15年4月8日国民体力法、公布
  16年1月22日人口政策確立要綱、策定
12月8日太平洋戦争、はじまる
  17年2月21日国民体力法、改正
2月25日国民医療法、公布
6月20日国民保健指導方策要綱、策定
7月13日妊産婦手帳規定を定めた厚生省令第35号、公布
  20年8月15日終戦
 




厚生省官制 昭和13年 類02089100(Page 11を展示)
 昭和13年(1938)1月11日、国民の保険・福祉に関する行政の拡充刷新を図って、厚生省が設置されました。厚生省には、体力局を筆頭に、衛生局、予防局、社会局、労働局の5局が設けられ、体力局が「妊産婦、乳幼児及児童ノ衛生ニ関スル事項」を所管しました。資料は厚生省官制が公布される際の閣議書です。
※「類02089100」は請求番号で、そこをクリックすると画像のあるものは国立公文書館のデジタルアーカイブに飛びます。

厚生省誕生 昭和13年
2169-1.jpg


国民体力審議会官制 昭和14年 類02209100(Page 1、6左を展示)
 昭和14年(1939)7月、国民の保健および体力向上にかかわる事項を審議するため、厚生大臣の監督の下に国民体力審議会が設置されました。同会は、保健衛生調査会などを統合、新機構の下で、厚生大臣に国民の体力調査に基づいた答申を行いました。資料は、国民体力審議会官制が公布される際の閣議書です。


国民体力法 昭和15年 類02400100(Page 1、5左を展示)
 国民体力審議会の答申を受け、昭和15年(1940)4月8日、当時の保健指導の中枢的立法となる、国民体力法が公布されました。戦時体制下、人的資源の涵養や国民の体力向上が重視されるようになったことにより、同法は、国民の体力向上を図るため、第1条「政府ハ国民体力ノ向上ヲ図ル為本法ノ定ムル所ニ拠リ国民ノ体力ヲ管理ス」と定められました。管理対象者には年一回の体力検査が行われ、体力手帳が交付されました。初年度の対象者は満17歳から19歳の男子でしたが、年を追うごとに範囲が拡大され、後に乳幼児も対象となります。資料は、国民体力法が公布される際の閣議書です。


総力戦 まづ健康だ、生まれてからでは遅い(写真週報166号 昭和16年4月3日号) 昭和16年 ヨ310-0116 (Page 2左を展示)
 結核の予防・撲滅と並んで、乳幼児の体力向上に取り組むことが謳われました・『写真週報』は、昭和13年から内閣情報局が発行したグラフ誌です。
2169-2.jpg
※「写真週報」は当時の時代を感じさせ、見ていて面白いです。他のページも眺めてみるのもおすすめ。

人口政策確立要綱 昭和16年 昭47郵政00460100
 昭和16年(1941)1月22日、人的資源の永続的な確保を図るため、人口政策確立要綱が策定されました。同要綱では、昭和35年に内地の人口1億人を目標として、人口増加の具体的方策を細かく規定しました。婚姻年齢を3年早め、夫婦の出生数を平均5人とするといった出生増加の方策や、乳幼児の死亡率の改善などの死亡現象の方策が掲げられています。
※請求番号に「昭47郵政」でなぜ郵政省?と思ったのですが、「簡易保険健康相談所、保健所統合関係書類」の分類になっていたからのようです。


これからの結婚はこのやうに(写真週報218号 昭和17年4月29日号) 昭和17年 ヨ310-0116(Page 10を展示)
 人口の量的な増加と質的な向上を図るため、結婚についての政府の指針を標語の形にした「結婚十訓」も見ることができます。十訓目の「生めよ育てよ国のため」は、メディア上でも喧伝された「産めよ殖やせよ」運動キャンペーンの典拠となったと言われています。
2169-3.jpg
※ところで、健康でない人はどうなるのだろうと素朴な疑問。



国民体力法の改正 昭和17年 類02661100 (Page 4を展示)
 昭和16年(1941)12月に太平洋戦争が始まると、国民体力法による体力調査の内容及び事後指導の強化が図られていきました。昭和17年2月21日、国民体力法が改正され、管理対象者の拡大と同時に、保健所に体力検査及び体力管理の実施に関する権限を与え、保健所の昨日を体力管理の実践に活用することが定められました。資料は、改正された国民体力法が公布される際の閣議書です。


乳幼児にも体力検査を 昭和17年 官00727100
2169-4.jpg


国民医療法 昭和17年 類02661100 (Page 4を展示)
 昭和17年(1942)2月25日、国民医療法が公布されました。同法は、医療および保健指導の改良発達を図るために、医師などの医療従事者が国民体力の向上に関する国策に協力することを義務つけました。なお、同法は、産婆に代わり「助産婦」の名称が公的に初めて使用されたと言われています。資料は、国民医療法が公布される際の閣議書です。


国民保健指導方策要綱 昭和17年 昭47郵政00460100 (Page 2を展示)
 昭和17年(1942)6月20日、厚生省により国民保健指導方策要綱が策定されました。同要綱では、保健所を中心とした国民保健指導網の確立と、保健所を国民体力法に基づく体力管理実施の中枢機関とする方針が示されました。また保健指導業務として、特に母子保健と結核予防に主力を注ぐこととされました。
※請求番号の「昭47」って昭和47年のことではないかと思うのですが、昭和17年の資料なのに請求番号が昭和47年というのはどうしてなんでしょう。

赤ちゃんの体力検査(週報296号 昭和17年6月10日号) 昭和17年 ヨ310-0109 (Page 16を展示)
 乳幼児の体力検査では、体重、栄養状態、疾病移譲などの審査結果は体力手帳に記入されて保護者に交付されました。
※「週報」もおもしろい。「週報は民翼賛の道しるべ」「割増金附郵便貯金切手 価格一枚二円 割増金 一等千円」だそうです。


乳幼児の体力検査結果 昭和18年 昭47厚生00002100(Page 4 左-5右を展示)
 資料は、厚生省の調査による、昭和17年(1942)度の全国の乳幼児の体力検査の実施状況です。受診率は、昭和16年度出生児では89.41%、昭和17年度出生時では77.38%でした。


妊産婦手帳 昭和17年 官00729100
 昭和17年(1942)7月13日、妊産婦と乳児の保健指導と保護の徹底を図るため、妊産婦手帳規定が公布されました。手帳は、妊産婦の心得、妊産婦・申請時の健康状態、分娩記事欄、出産申告書などで構成され、妊娠届と引き換えに交付されました。手帳の所持により、米などの増配、出産用の脱脂綿、腹帯用の木綿、ミルク・砂糖といった育児食などの特別配給を受けることができました。妊産婦手帳制度は、世界初の妊婦登録制度であったと同時に、戦後の母子手帳、さらには現在の母子健康手帳へと続く母子の健康管理を手帳で行う制度の原型となりました。資料は、厚生省令第35号の妊産婦手帳規定が掲載された官報です。
2169-5.jpg


妊産婦の手帳制(週報302号 昭和17年7月22日号) 昭和17年 ヨ310-0109 (Page 12を展示)
 妊産婦手帳制度が導入された理由や、手帳のもらい方や内容などが紹介されました。当時はまだ一般的ではなかった妊婦健診の受診も推奨されました。


昭和17年度の妊娠・出産状況 昭和18年 昭47厚生00002100
2169-6.jpg


妊婦健診(写真週報247号 昭和17年11月18日号) 昭和17年 ヨ310-0116 (Page 10の一部を展示)
2169-7.jpg


生んだ子は必ず育てよう(写真週報269号 昭和18年4月28日号) 昭和18年 ヨ310-0116 (Page 3を展示)
 出生率の向上と乳幼児死亡率の低減にむけて、乳児健康相談や保健婦の巡回指導の積極的な取り組みを行っている村として千葉県中根村(現在の千葉県いすみ市の一部)が紹介されています。
2169-8.jpg
※写真週報 269号は「健兵の母を鍛へよう」と題して健民運動の特集でした。
関連記事

コメント

Secret

月別・カテゴリー別はこちら

ご来場者数
スポンサードリンク
リンク
キーワードでお探しします
お手紙、待ってます(はぁと)!

名前:
メール:
件名:
本文:



この人とブロともになる

QRコード
人気ブログランキングへ
明日天気にな~れ!

-天気予報コム- -FC2-
今夜の月はどんな月?
CURRENT MOON
RSSリンクの表示