国立公文書館 企画展「生まれた。育てた。―母子保健のあゆみ―」2

2 母子保健思想の芽生え

 明治の末より昭和初期にかけての日本は、日清戦争、日露戦争を経て産業革命を遂げ、第一次世界大戦で一時的な好景気を見た一方で、経済の発展の歪みによる社会問題も生じ始めていました。
 大正9年(1920)の大戦後の恐慌、同12年の関東大震災後の震災恐慌、昭和4年(1929)の世界恐慌の余波を受けた昭和恐慌と不況が続いたことで、国民生活は窮迫し、社会問題は深刻化、母と子をめぐる環境は悪化していきました。
 こうした状況を背景として、母子の保護や保健にかかわる施策が行われ始めます。
 社会問題への対処としては、明治44年(1911)に制定され労働者保護を目的とした工場法をはじめ、昭和8年の児童虐待防止法、同12年の母子保護法などが整備されました。
 また、保健衛生については、大正5年に保健衛生調査会の設置、昭和12年に保健所法の制定などが行われ、そのなかで国による母子保護政策が始められました。

主な出来事
明治44年3月29日工場法、公布
大正3年7月28日第一次世界大戦、はじまる(~大正7年11月)
  5年6月28日保健衛生調査会官制、公布
9月1日工場法、施行
  12年3月30日工場法、改正
昭和6年9月18日満州事変
  8年4月1日児童虐待防止法、公布
12月23日天皇陛下、御誕生
  9年3月13日恩賜財団愛育会、設立
  12年3月31日母子保護法、公布
4月5日保健所法、公布
7月7日盧溝橋事件



工場法 明治44年 類01128100(Page 7を展示)
 明治44年(1911)3月29日、工場法が公布されました。工場法は、工場労働者の保護を図るため、12歳未満の年少者の就業禁止、15歳未満の年少者・女子の労働時間制限を定めました。同法第12条では産婦についても就業制限を定め、はじめて労働者の母性保護規定を設けました。ただし、適用対象は常時15人以上の労働者が使用されている工場に限られました。資料は、工場法が公布される際の閣議書です。

産婦の就業制限 大正5年 官00418100
 工場法の施行は、公布から5年後の大正5年(1916)9月1日まで待たなければなりませんでした。産婦の就業制限の詳細については、同年8月3日に公布された工場法施行規則第9条「産後五週目ヲ経過サセル者ヲシテ就業セシムルコトヲ得ス」で具体的に定められました。資料は、工場法施行規則(農商務省令第19号)公布時の官報です。
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妊婦も保護対象に~工場法の改正 大正12年  類01481100(Page 8を展示)
 大正12年(1923)3月30日、工場法が改正されました。これにより、産婦に関する規定は「産前産後若ハ生児哺育中ノ女子」と改まり、産婦だけでなく、妊婦も保護対象になりました。資料は、改正工場法が公布される際の閣議書です。

保健衛生調査会 大正5年 類01225100(Page 15-16を展示)
 大正5年(1916)6月28日、国民の健康改善のため、内務大臣の監督下に保健衛生調査会が設置されました。当時の日本は欧州諸国に比べ青壮年および乳幼児の死亡率が高かったため、これらの改善に向け、同会では母子をはじめ国民の健康状態の問題と実態把握、そしてその改善に必要な事項などの調査研究が行われました。資料は、保健衛生調査会官制が公布される際の閣議書です。

保健衛生調査会委員の任命 大正5年 任B00780100(Page 3左-4右 を展示)
 保健衛生調査会は、関係省庁の代表者および各方面の専門家を委員として委嘱して組織されました。任命された34人の委員のなかには、森林太郎(1862~1922、『舞姫』などで知られる森鴎外)の名も見えます。資料は、大正5年(1916)6月、保健衛生調査会委員が任命された際の裁可書です。

保健衛生調査会報告書 大正6・7年 ヨ498-0027
 保健衛生調査会は、第1部門(乳児、幼児、学齢児童および青年)、第2部門(結核)、ほか計8部門に組織構成され、部門ごとに調査審議にあたりました。資料は大正6年(1917)と7年の保健衛生調査会の報告書です。
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小児死亡統計表 大正6年 ヨ358-0041

皇太子殿下御降誕 (昭和8年12月23日 『読売新聞』号外)
 天皇陛下は、昭和8年(1933)12月23日、皇居において、昭和天皇の第一皇子(皇太子殿下)として誕生されました。『読売新聞』の号外には、御誕生時間(午前6時39分)および身長(50.7cm)・体重(3,260g)も掲載されました。
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皇太子殿下御誕生に際し御下賜金に関する件 昭和9年 資00124100(Page 5左-7 を展示)
 天皇陛下がご誕生になられた翌年の昭和9年(1934)2月23日、宮中でご誕生の祝宴が開かれました。この日に「児童及母性ニ対スル教化並ニ養護ニ関スル諸施設ノ資トシテ」御下賜金を賜る胸の御沙汰書が内閣総理大臣に下されました。この御下賜金に基づき、同年3月に恩賜財団愛育会(現在の恩賜財団母子愛育会)が設立されました。資料はこの時の御沙汰書です。
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恩賜財団愛育会設立 昭和9年 平6文部00505100
 恩賜財団愛育会は、昭和9年(1934)3月13日、文部・内務両大臣から設立許可が下り、同月24日に法人設立の登記がなされました。同会は乳幼児死亡率の高い農村を「愛育村」として指定し、家庭訪問看護活動など母子保健の向上を期す事業などに着手していきました。
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愛育会発会式 昭和9年 恩賜財団母子愛育会提供
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愛育記録 昭和11年 恩賜財団母子愛育会提供
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児童虐待防止法 昭和8年 類01844100(Page 4、34 を展示)
 昭和8年(1933)4月1日、児童を保護するため、児童虐待防止法が公布されました。同法は、14歳未満の児童を対象とし、児童の保護者が児童を虐待又は著しく監護を怠る場合は、地方長官は訓戒、条件を付した児童の監護、保護者から児童の引取りを行うことなどを定めました。背景には、大正末期から昭和初期にかけての経済不況の深刻化・長期化とともに家庭の貧窮化は進み、乳幼児への虐待行為や捨子などが続発、街頭で物乞いや花売りをする子どもの姿が全国で見られた世相がありました。資料は、児童虐待防止法が公布される際の閣議書です。

母子保護法 昭和12年 類02084100(Page 1,4 を展示)
 昭和12年(1937)3月31日、母子保護法が公布されました。同法は13歳以下の子どもを有する貧困母子家庭を救済するために、生活、養育、生業の扶助および医療援助を行うことなどを定めました。背景には、昭和恐慌などによる生活困窮によって、母子心中の多発などが深刻な社会問題となり、母子の保護対策が要望されるようになったことがありました。資料は、母子保護法公布時の閣議書です。

保健所法 昭和12年 類02083100(Page 4 を展示)
 昭和12年(1937)4月5日、国民の体位を向上させるため、保健所法が公布されました。同法は、保健衛生指導の方策を国として初めて示し、衛生思想を普及させ指導相談を行う施設として保健所の設置を定めました。保健所の業務としては、結核予防と並んで「妊産婦及乳幼児の衛生に関する指導」が重視され、母子衛生事業が本格的に着手されます。資料は、保健所法が公布される際の閣議書です。
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