加藤昭吉 「計画の科学」「計画の科学Ⅱ」

科学をあなたのポケットに
高度経済成長の真っ盛りの昭和38(1963)年、サイエンスコミュニケーションなんて考え方すらない中、専門家ではなく一般の人たちが科学的にものを考える習慣と科学的にものを見る目を養う事を目指して、科学や技術をテーマにした新書のシリーズが発刊されました。

そう、講談社ブルーバックスです。

ちょうど、中学・高校時代に図書館からブルーバックスをたくさん借りて、また御茶ノ水界隈の古本屋の100円コーナーから絶版になった本を買って、読み漁ったのを思い出します。

既刊全書名のpdfを見てみると、ちょっと拾い出しただけでも懐カシスオレンジな思い入れのある(内容は忘れたものも多いですが)書名が並んでおります。

「胃袋-現代人の不安のシンボル(B4)」では胃が痛いというのがどういうことかよくわかりましたし、「生活をあやつる神秘なリズム―バイオ・リズムへの招待(B44)」をもとにバイオリズムのBASICプログラムをポケコンで作りました。「統計でウソをつく法(B120)」では、いつかこれを悪用してウソをついてやろうと心に誓い、「水平思考の世界(B180)」の発想法はおもしろかったですし、「四色問題(B351)」は、コンピューターの可能性を感じました。「エントロピーとは何か(B396)」を1冊読んで、結局エントロピーは何かよくわからなかったのもいい思い出です(「貧乏人のうれしさの尺度」だったかな?)、「チョコレートの科学」(B940)で初めて知ったココアバター(カカオバター)の融点の話が、20年くらいたって朝中の「ニュースとつながる理科のツボ」のネタに使われたりしたのです。
ちなみに、Bのついた数字はブルーバックスの通巻番号で、現在は2000を超えています。つまり2000冊以上出ているわけですね。さすが講談社!

当時読んだ本のほとんどはすでに絶版となっていますが、時間があれば、そして手に入れば、もう一度読み返したいものも多くあります。

と、ブルーバックスについての前振りが長くなりましたが、今回ご紹介するのはそのブルーバックスの中から、1965年に初版が出て、なんと今でも版を重ねて刊行されているという、現在も刊行されている本の中ではもっとも古い本である
加藤昭吉 「計画の科学」 講談社ブルーバックス(B35),1965 です。
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もう丸ごと1冊PERTの本です。

PERT(Program Evaluation and Review Technique)は 工程を管理する手法です。
工程管理のツールといえば、ガントチャートなども有名ですが、あれはタスクの割り当てとその〆切だけを示したものなので、見栄えがいい半面、「明らかにその計画では無理だろう」という計画でも気づかずにチャートが出来上がってしまったり、「これが終わらないとこの作業ができない」というタスクどうしの関係が見えないため、全体の工程管理、とくにトラブったときなどの修正が難しいのです。
PERTは1957年,アメリカ海軍のOR(Operations Research)グループにより開発され、1958年,ポラリス第1回発射計画にPERTが適用され実用価値を認められました。そしてポラリス搭載の潜水艦建造では,当初の工期7年を2年近く短縮したというご利益をもたらしました。

で、この本ではPERTの生まれた背景から、ネットワークの書き方FLOATやCPについて、さらに日程の短縮や計画の追跡、確率論やコストとの関係など初歩からプロフェッショナルレベルにまで言及しています。で、そのセオリーは電子計算機、いや、コンピュータがこれだけ発達した21世紀の今日でも十分に通用するものです。

が、この本(著者)のすごいところはそれだけではありません。

 しかし、よく考えてみると、世界中の人々から勤勉巧者であると評価されている日本人の生活には、どうも仕事の上で無駄な忙しさが多すぎるのではなかろうか。…(中略)…それはともかく、勤勉や繁昌を多忙につながる好結果と直結させるのは危険な考え方である。(p.12)

 …いつでも忙しそうにしている管理者が決して優れているのではなくて、本質的な問題の所在を明確に把握し、全体の結果や成績に本当に必要なことを勇気と自信をもってなしうる者こそ、真に管理者としての感覚を持ちあわせた人といえよう。そして、このような態度は、計画に無駄な忙しさを持ち込むことをなくし、ひいては上手にフロートを利用する術を知ることになるから、日本流にいえば、<忙中閑あり>ということになろう。(p.85)

 また、このオリンピックについては、佐藤さんが担当国務大臣になったとき、「こんなことで、はたしてオリンピックができますか?」とラジオでインタビューされたおりの記事が新聞に残っている。これを読むと大臣は、「日本人はガリ勉が得意ですからな、イザとなるとやりますよ。徹夜の突貫工事でも何でもやってね。あたしゃあ、悲観してません。」と答えている。
 さすが、宰相の器、先見の明があったわいとほめるのもよいが、第一線で働く者にとっては、肉体的、精神的緊張の連続で想像にあまりあるものがあったにちがいない。しかし、ガリ勉の結果は”成功”で、いまさらのように日本人の世界的、大国的水準jと、たぐいまれな民族的性格が見直されたというのが、大方の識者のご高見であるらしい。とはいえ、このご時世に何もガリ勉ばかりが能ではあるまい。計画的にものごとをまとめていく有利さを本当に理解しておれば”乾坤一擲”とか、”総力をふりしぼる”といった緊迫感に追いかけられることもなく、もっと、らくな気持ちで仕事を進めることができたにちがいない。(pp.90-91)


高度経済成長期のど真ん中で、日本人の勤勉さによる(今でいえば社畜的な)働き方に疑問を呈し、PERTのようなテクノロジーを使って労働や仕事の成果の管理を科学的、もっというと効率的に行おうとしていた点は、働き方改革が声高に叫ばれても、現場は相変わらずという現在でも余裕で通じる見識といえるでしょう。

ちなみにこの著者の方は大成建設勤務です。どうりで<大成リミット・パス>なんてのが紹介されているのかと納得。



それからその続編、
加藤昭吉 「計画の科学Ⅱ」 講談社ブルーバックス(B107),1974
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残念ながらこちらはすでに絶版となっています。
こちらはPERTのような具体的な手法の詳細な解説ではありません。
大きく三部構成で
Ⅰ 大規模化時代の計画と思考
Ⅱ プロジェクト計画のとらえ方
Ⅲ プロジェクト管理の進め方
となっておりますが、量的にはⅠⅡⅢが仲良く3分の1ずつというわけではなく、Ⅰで半分、残りのⅡⅢで半分という感じです。

後半の2つは浅いというか、前著のPERTとくらべると、「これは使えそう」と感じさせる力が弱いを感じました。
一方、Ⅰ 大規模化時代の計画と思考 については、前著で指摘した日本人的な考え方の問題点の指摘をさらに推し進め、ています。その部分をいくつか拾い上げてみます。

 日本人はあどちらかというと「全体を効果的にまとめる計画的思考に弱い」とされている。 (p.5)

 極端な結果主義は一方で、部分部分を積み上げてできるだけ短時間に全体のかっこうをつけるといった仕事の進め方を社会全体の傾向としている。そして、全体をまとめる計画的思考のまずさから派生する葛藤の所産は、日本人特有の「勤勉」によってカバーされてきた。
 ところが、これからの時代は、時間をかけてもぐっと水のあく効果的な仕事の進め方を考えだした方が優位に立てる時代である。新しいやり方、自分なりのやり方で全体を効果的にまとめる「考えた働き方」が企業の優劣を決める時代だからである。
 一方、日本製品の欠点のひとつは「過剰品質にある」といわれているが、部分部分に全精力を投入しても全体をまとめる科学的思考がなくては、それが結果になって生きてこない。つまり、日本のものは部分では優秀でもミクロな問題に押しつぶされて全体で間が抜けてしまうのである。材料にしても、日本人は全体の効果とのかねあいで材料を選ぶのではなくて、材料の質そのものを重視する。(p.63)

 これにひきかえ、目本の場合は、先を見通して効率の高い計画を選択するといった思想が定着していないので、とにかく疑問をいだかずに目先のことがらに精力的にぶつかることで現在の社会環境を作ってきた。
 しかし、これからは、一国のエネルギーを先導する新鮮な構想力と総合的な計画力がなくては量的拡大のひずみを是正して先進国との差をちぢめることは不可能に近い。それも、戦後二〇年間に投じた三〇兆円の二〇倍近い資金か今世紀末までに投じられるというから、日本の成長は全体としてこれまでとは比較にならないくらい金のかかる成長になるわけだ。だから「やってみたらこんなものができあがった」というのではたいへんなことになってしまう。また、そんなことでは四歳児の知能指数しがないことになってしまう(四歳児と五歳児に同じ材料を与えてものを作らせた場合、最も顕著な差異は、四歳児の大半はとにかく手をつけてみて、「こんなものができた」というかたちをとるが、五歳児になると、まがりなりにも、「こんなものを作りたい」という意思を働かせることができるという)。(pp.54-55)

 虫カンと鳥カン
 総合性ないし全体思考が要求されるのは社会開発の問題に限らない。新しい企画を立てたり、物を作る場合にも同じことがいえる。
 たとえば、自動車の修理工場などへ行くと、入ってくる自動車のエンジンの音を聞いて、「これはどこが故障している」とか、「どの部品が古くなっている」といったことをいい当てる人が必ず一人か二人いるものだ。小気味よく働くこのような勘を虫カソと名づけると、日本人の勘は、ものごとを管理する場合でもどちらかというと、局部的に働くこの種の虫カンに頼っている場合が多い。つまり、固有技術を通して身につけた経験や勘をマネージメントのなかにまで持ち込んでしまうのである。
 それは、西欧の技術が合理的な思考から出た「思考知」であるのに対し、日本を含めて東洋の伝統的な技術は主観的・行動的な経験の上に築き上げられた「行動知」で、熟練とか勘やコツが重視されてきたためであろう。
 しかし、技術革新時代ではチーム・フレーが主体となるので、多くの固有技術を統合し、それらを全休としていかに生かしきるかといった管理技術が先導的な役割を持つ。したがって、これからの時代で期待される勘があるとすれば、それは特定の局所で働く虫カソ的なものではなく、全休を俯瞰することのできる鳥カン的なものでなくてはならない(俯瞰図は鳥瞰図とも呼ばれ、これは、一定の角度からみた見取図とは異なる)。それはちょうど、立体裁断のベテランがその人を見ただけで、ヒップやバストをごく微小の誤差でつかみながら全体のバランスを割り出すような感覚で、いうなれば、これが縫師とデザイナーの開にある距離ともいえる。(pp.55-56)


拾い上げたところだけ見てみると、濃縮された分、至って日本人的な、義理人情浪花節、大和魂的精神論、年功序列終身雇用な方々が見ると烈火のごとく怒られそうです。日本叩きととられるむきもあるかもしれません。ただ出版されたのは第1次オイルショック後、すなわち高度経済成長が終わった1974年、「これからの時代」の意味が前著とはちょっとかわっているのかもしれません。

しかしそうだとしても、当時の日本人にとってこの考え方は早すぎたかもしれません。
ひょっとしたら、現在でも早すぎるかもしれませんし。
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