東京海上日動ビルディング本館

前川國男設計の知る人ぞ知る赤茶色のビル、東京海上日動ビル本館。
1974年竣工、地上25階・塔屋2階・地下4階。
当初は30階建てで日本初の超高層ビルの名を冠するはずだったが、皇居の近くということで景観を損ねるのではないかなどと懸念され、25階建てに変更。日本初の超高層ビルの座は霞が関ビルに奪われる。
「日本初のチューブ構造が採用されたビル」と言われているようだが、別の論文では、浜松町の世界貿易センタービル(1970完成)と書かれている。
おそらく、東京海上日動ビルが先にチューブ構造を採用した設計をしたのだが、その後景観論争で工事が遅れている間にチューブ構造を採用した世界貿易センタービルが先に建てられてしまった、というところだろうか。そう考えると、おいしいところをもってかれた悲劇のビルともいえる。
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流政之「くぐりえびす」
台座に彫られたすき間をくぐり抜けると、幸せになれるらしい。
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長州藩大砲鋳造場跡 と 都電の車輪

江東区にある南砂緑道公園のモニュメント

長州藩大砲鋳造場跡
 パリのアンヴァリッド(廃兵院)に、長州藩主毛利家の紋章がある青銅の大砲が保存されています。この大砲には、次のように刻まれています。
           嘉永七歳次甲寅季春
十八封度礮
          於江都葛飾別墅鋳之
        かえいしちさいじこういんきしゅん
じゅうはちポンドほう
        こうとかつしかべっしょにおいてこれをちゅうす

「江戸切絵図」を見ると、現在の南砂ニ-三付近に長州藩主松平大膳太夫 の屋敷があったことがわかります。「葛飾別墅」とは、この屋敷さしてい ます。
 長州藩では、嘉冠六(一八五三)年十ニ月、三浦半島の砲台に備えつける大砲を鋳造するため、鋳砲家を江戸へ呼び寄せました。翌七(安政元)年正月、幕府の許可を得て、佐久間象山の指導のもと、砂村の屋敷内で大砲の鋳造を始めました。
 当時、尊皇接夷の急先鋒だった長州藩は、 この大砲を三浦半島から下関に移し砲撃により関門海峡を封鎖しました。これに対 し、元治元(一八六四)年イ ギリス・アメリカ・フラン ス・オランダの連合艦隊が 下関の砲台を攻撃、陥落させました。パリの青銅砲は この時、フランス軍により海を渡ったものです。                          江東区教育委員会
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 このモニュメントはパリのアンヴァリッドに保存されている大砲をモデルにしたものです。実際の大砲は長さ約3メートルです。


都電の車輪
 もともとこの緑道公園はかつて都電(城東電車)の走っていた用地にみどりといこいの散歩道として建設されたものです。
 城東電車は対象6年から設置され、この緑道公園の区間は昭和2年にしかれましたが、昭和47年11月に廃止されるまでチンチン電車の愛称で広く親しまれていました。
 この車輪は都電に使用されていたもので、車軸は昭和28年8月製造、ギャ側の車輪は昭和40年10月、アクスルカラー側は昭和41年4月に製造されたものです。
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おまけ。南砂緑道公園とはちょっと離れて東陽2丁目のYMCA専門学校横にある通路にいたおサルさんの親子。
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